【2020年01月02日~01月04日】
物凄いタイトルにしましたが(笑)久しぶりに母が、我が家に泊まりにきていました。
私の母はネガティブな言葉が多い、いわゆる『毒母』なのですが、ここ数年は、ワガママで強情な性格に拍車がかかっている気がします。
今回つくづく、そう感じました。
①自分が忙しい気分になるのが嫌なので、自由気ままに、マイペースで動きたいという理由から、『自分が電車に乗る時刻を、待つ側の私にわざと伝えない、連絡もしませんでした』
②駅に迎えにきてもらいたくない、自分で我が家の住居まで1人で行ってみたいという理由から、『「到着したら連絡する」とは言ったものの、連絡しないで突然やってきて、驚かせました』
③寒い冬に泊まりにきたので、オイルヒーターのある寝室に母も寝かせようと、わざわざ少し模様替えまでして客用ベッドを作りました。
...なのに...
母「エアコンとテレビのあるリビングで寝る」
と、言い出しました(汗)
どうやら自分のイビキや歯ぎしりを、主人に聞かせるのが恥ずかしいという気持ちもあったようですが...
これまで私達夫婦が実家に泊まった時、何度も一緒の部屋で寝ているので、「何を今更(笑)」です。
私「ダメ!喉おかしくするよ」
と言ったのですが、そのような会話をお互い何度も繰り返し、しまいには...
母「じゃぁ~、帰る!」
と、すねました。(どっちが親で娘か...)
何を言っても無駄なので、仕方なくリビングに布団を持っていき、そこで寝させました。すると朝にはエアコンが消えていて...(汗)
母「寒いわ」
とのこと(笑)
だからダメだと言ったのに...昭和の木造建築なので夏は暑く、冬は寒いのです。次の日はエアコンをつけたままで、マスクをしながらリビングで寝ていました。
④前々から母が「横浜中華街に行きたい」と言っていたので、今回こそ連れて行こうと横浜中華街までの電車の時刻を調べたりしていて、いざ出発の日となったのですが...
母「あんまり歩きたくないなぁ~」
と、言い出した(汗)
仕方ないので却下。杏仁ソフトクリーム食べたかったのに...それで、まだ母が行っていない、車で行ける近場へ連れて行きました。
本当はムーミンバレーパークに連れて行き、ショーを観たり、美味しい物を食べたりしたかったのですが、そこも歩くし、子供向けだからと却下されました(涙)
勿論、毒母っぷりにも、拍車がかかっております。
【私の外見について】
母「なんだ、もっと痩せたかと思ってたけど、そうでもないね。顔は、ほっそりしたけど。この足、これ(私の太ももを触りつつ)。下半身太り。もっと痩せた方がいいね」
あのぉ~、約28㎏も減ったのですが?!母こそ「もっと痩せた方がいいね」です(笑)
元々、顔は小さいので、太っても痩せても、外見的には、それほど変わらない感じに見えるのでしょうが...服のサイズは確実にサイズダウンし、標準体型の頃のサイズとなりました。
...洋服を着替えていると...
母「いいねぇ~、オシャレができてぇ~」
嫌みったらしい、言い方でです。実は、痩せた娘が羨ましかったようです。
私「いいでしょぉ~。ワンピースが着れるのはいいよぉ~♪」
...三重瞼について...
私「年とったのと痩せたので、夕方から夜になると疲れもあるのか瞼が凹むの。たまにモナリザみたいな目になんの。今はキレイめの三重瞼で、まだマシになったけど...」
母「それは〇〇家の目だわ(父方の家系の目だということ)」
普通の会話に思えるでしょうが、言い方ですね。嫌そうに言ったのです。〇〇家が嫌いだから(笑)
私「とうとう、ばぁ~ちゃんの目に似てきたわ」
昔から母に言われていたのもありますが、母が嫌いな、ばぁ~ちゃんの目に似てきたと、わざと言いました。
【主人に対する私の態度について】
母「あんまりくどいと、捨てられるよ?」
(方言のようなので説明...くどい=しつこいという意味)
はぁ~?!何だそれ。
捨てることはあっても、捨てられません。離婚しても、私は男性には困りません(笑)
私「くどくないし。どストレートに言ってるだけ」
【叔母のお葬式に出席しなかったことについて】
母「〇〇〇は(←横浜に暮らす親戚)、お葬式に来てくれたんだわ」
今回、言われたの2度目ですので、知っています。こう言うのは、わざとです。性格悪いです。
そもそも「遠いし、無理に来なくてもいいよ」と言ったのは、母なのですが?!
すっかり忘れているようです。
私「震災後のお葬式は、どこも遠慮して、してないのに、するんだぁ~と思ったわ」
震災と原発事故で、多くの人達が大変なので、お葬式をすることじたいを、遠慮する人達も多かったのです。それに、お葬式する方もお金かかりますしね。
母「震災から5年も経ってたんですけど」
何年経とうが、震災と原発事故が原因で、何も当てにせず、自分達の貯金だけで自主的に移住して、生活再建させて、やっと落ち着いたのですが?!
福島県寄りの茨城県民のくせに、自主的に移住した福島県民の大変さを、全く理解できない様子のようです。
そのような福島県民が、生活再建するためにと頂けるお金から(保険会社からのお金も含めてですが)、「〇〇〇万円よこしな」と言った母ですしね。本当、その時は信じられませんでした(汗)
「あると使っちゃうから、お母さんが預かっておく」という意味だったらしいですが?意味不明(笑)私はそう感じませんでした。
昔から「お金、お金」と、お金大好きな人で『震災後の貰えるお金は、何でも貰いたい』というスタンスの母でしたから...娘の状況がどうであれ、「娘からもシッカリ取る、鬼だ」と思ったものです。
私「あの時は、起業の準備でも大変だったの。開業届を出すことで頭がいっぱいだったし」
ちょうど開業届を出す予定日の6日前に叔母が亡くなったのです。お葬式の日とかぶりそうな感じで、遠いし、多忙だし無理だなと思い、お言葉に甘えて出席はしないことにしたのです。
その後、帰省した時に、お線香はあげてきました。
こういう世間一般的な、常識的なことについて、キチンとしないと、後々になってグチグチ悪く言うのが母の悪いところ。
私に限らず、他の人の場合も同じです。それなりに事情があって行けない人もいるだろうに、思い出すたびに言うのです。
おしゃべりで、何でも遠慮なく、アチコチに喋る傾向です。母に内緒話は絶対にしない方がいい(笑)
【私の仕事について】
母「あんたも自立しなよぉ」
私「は?自立してますが?」
母「してないでしょ(笑)」
私「個人事業主ですが?(笑)」
どうやら『主人に扶養された状態でいる主婦=自立していない』と思っているようです。私を仕事をしていない専業主婦と同様に見ているようです。
母は、自分がずっと会社に雇われて働いてきた人間なので、経営者については知らないのです。主婦であれば、扶養されたままの経営もありだというのに、それも知らないのでしょう。
私「他人に雇われてお金を稼ぐのは、手っ取り早くて、誰でも出来ることなの(健康であれば)。それで安定しているように感じるだろうけど...
自分で起業して経営するってのは、なかなか出来ないことなの。それでお金を稼ぐのも大変なことだしね。そのためには何よりも信頼が大切なの。お金じゃないの。稼げればいいってもんじゃないの。
それに世の中って、結局は、経営者が儲かるように出来てんの(笑)今は特に色んな働き方があんのよ」
と、教えておきました。
母「病気になったらどうすんの?」
今、思えば主人が病気になったら、どうすんの?でしょうね。母は主語が抜けるのです。
その時に自分の仕事だけで無理なら、他でも働けばいいだけですが(笑)
私「子供の頃から体弱いですけど?」
自分の体の話だと思っていた私(笑)
母「どこが(笑)」
はぁ~?脳みそ、大丈夫でしょうか。
妊娠中にタバコを吸われたことにより未熟児で産まれ、熱性痙攣&インフルエンザ脳炎の時には、大人の解熱剤を飲まされ危険な状態にされ、その後も免疫力が弱く、10代は風邪や熱で学校を休むことも多かったのですが。
...そもそも...
私「脳波が特殊でしょうよ」
脳波が乱れるのは、充分に不健康の原因です。母はイラついたのか、タバコを吸いに行きました(笑)
こんな感じで私は、毒母の攻撃を上手く、かわしております。子供の頃から、こんな感じです。
あ~いえば、こ~いう感じで、言い負かすのです(笑)
母からは『強情な娘』と思われているようですが、母じたい、かなりワガママで強情ですよね。母に似たのでしょう。
それにしても母、足腰も弱くなり、脳も怪しくなりました。昔の記憶でスッポリ抜けている部分もあったり、精神的にも幼稚化している気がしました。
年とったなぁ~。なので母が帰る時、こう伝えました。
私「老後こっちくる?田舎より刺激があるから、ボケ防止になるよ?」
...すると...
母「刺激があり過ぎる」
だそうです(笑)
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